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Henrick

文&スタイリング(トップページ)=山岸みすず text & styling by Misuzu Yamagishi

写真=堀裕二 photograph by Yuji Hori

近代演劇の父 ヘンリック・イプセン

イプセンは1828年、クリスチャニア(現オスロ)郊外の小さな港町シェーエン生まれ。町の有力商人だった家は裕福だったものの、彼が7歳の時に破産したため、15歳から薬局で働き、苦学して20歳頃から詩や戯曲を書き始めました。38歳で出版した『ブラン』でようやく成功して生活も安定し、代表作『人形の家』、『幽霊』、『野鴨』などで社会批判と思想を展開、近代劇の創始者となりました。イタリア、ドイツ、デンマークなど欧州各国で暮らしながら旺盛な創作活動を続け、1906年に78歳で没し国葬されました。日本の近代劇はシェイクスピアとイプセンから始まったといわれますが、イプセンの方がより衝撃的で、夏目漱石をはじめ近代文学にも大きな影響を与えました。ノルウェーの風土が生んだ作家らしく、イプセン作品には北欧民話に登場するトロル、つまり“自然の中の悪魔的な力の象徴であり、人間の魂にも潜む邪悪な力”が繰り返し現れ、生きることは、人の心に巣くう魔物(トロル)との闘いである、と説いています。イプセンの戯曲は隠喩的で難解ともいわれますが、人間の本質や真の自由を問う精神は今も時代の先端にあり、あらためて読む価値に満ちています。ノルウェーという霧のヴェールに包まれた森とフィヨルドの国をもっと深く知るために、さらには人間という賢くも愚かで愛すべき存在について学ぶため、著作と舞台でイプセンの世界を訪ねましょう。イプセンは現代でもますます重要な作家として、オスロの国立劇場では2年に一度、国際イプセン・フェスティバルが行われています。今年2014年夏にも、世界各国の劇団によるイプセン作品の上演やシンポジウム、コンサートや展覧会などが盛大に開催される予定です。

1879年に初上演された『人形の家』の主演女優Betty Hennings。デンマーク王立劇場で上演された。

2012年の国際イプセン・フェスティバルで上演された『ペール・ギュント』の一幕。自分自身であることを問う意欲作。

 

 

●イプセンの代表作

『人形の家』

1879年 Et Dukkehjem/A Doll’s House
Story : 幸福な結婚生活を送る若妻ノーラが夫への愛情から、夫の命を救うため内緒で借金をし、そのため文書偽造という罪を犯す。夫は法律の側に立って妻を裁いたため、ノーラはひとりの自立した人間として対等に見られていないことに絶望し、人間として目覚め、結婚を解消して3人の子どもを置いて家を出ていく。
*イプセンを一躍世界的な作家にした代表作で、進歩的な女性解放を扱った作品として有名ですが、ノーラという魅力的だけれど非論理的な女性の性格が引き起こす巧みな人間描写を味わえる物語。日本では1911年に初演され松井須磨子がノーラを演じました。

『ペール・ギュント』

1867年 Peer Gynt/Peer Gynt
Story : 落ちぶれた豪農の息子ペール・ギュントは多くの女性と恋しながら放浪し、老いて帰郷する。死を覚悟して故郷を歩く途上、人間をボタンに溶かし込むボタン職人と出会うが、彼は天国に行く善人でもなく、地獄に行く大悪党でもない「中庸」の人間としてボタンに溶かされそうになり、自分が中庸ではなかったことを証明しようと駆けずり回り、やがて永眠する。
*イプセンはこの神話的な戯曲の上演にあたり組曲を作曲家グリーグに依頼し、1876年にオスロで初演されて大成功を収め、芸術的にも高い評価を受けました。

『野鴨』

1884年 Vildanden/The Wild Duck
Story : うそ偽りの上に幸福は築けないと考える豪商の息子が、平穏な生活をおくる写真店を営む家族にある酷い「真実」を突き付ける。一家の幸せは揺らぎ、一人娘は父の愛を取り戻そうと、大切にしている野鴨を犠牲にする決意をする。
*イプセンはこの作品に関し、「野鴨は怪我をすると一気に水底まで沈んでいくが、この頑固な野鴨はくちばしを使ってまで何とか生きようとする」と語っています。人間はどれだけ「真実」に耐え得るのか、暗喩に満ちた象徴的写実の技巧で描かれた傑作です。

一羽の「野鴨」が、登場人物たちの人間性の違いを象徴している。

 

注目される気鋭の演出家・
森新太郎さんが初めて手掛けるイプセン作品『幽霊』が、
3月20日(木)から東京・渋谷のシアターコクーンで上演されます。
今年2月に読売演劇大賞・最優秀演出家賞を授与されたばかりの森さんに、
開幕直前の心意気を伺いました。

 

『幽霊』は1881年の発表当時、あまりにもスキャンダラスな内容で非難の嵐にさらされ、当時ノルウェーでは決して上演されなかった問題作。今では近代社会を象徴する傑作として高く評価されています。『幽霊』は、進歩的な考えを持っているにもかかわらず因習から抜け出せない女性、アルヴィング夫人の矛盾にさいなまされる姿を描いた三幕の家庭劇。聖書批判や性的なタブーに挑戦した傑作を、森さんはどのように演出するのでしょうか? 「主演の安蘭けいさんをはじめキャスティングは完璧です。安蘭さんは圧倒的に美しいアルヴィング夫人として舞台の全幕に登場し、セリフもかなりの量です。今作品では、幽霊、太陽、光…といった言葉が詩のように何重もの意味を持って発せられます。俳優たちは言葉の下にある不安、欲望、情熱などのイメージを深いところから探って口にしなければなりません。その言葉が観客にどのように伝わるか、そこが勝負のセリフ劇であることも見どころです。イプセンは暗く難解という印象もありますが、実は喜劇的でもあり、とりわけ『幽霊』での登場人物は皆、その場を取り繕うことに必死で、さらに深みにはまっていく。それはまさに現代の我々の姿でもあり、人間のありのままを見せることを目指しています。イプセンをあらためて読むと、巧妙な物語づくりの腕力に驚きます。どんでん返しが繰り返され、これでもかというほどクライマックスの山が連なり、どこまでも楽しませようとするエンタメ性に感服します。『幽霊』のラストもかなり劇的で、観る人に多彩で複雑な印象を与えるはずです。イプセンという通好みの作品をメジャーな劇場で上演できることを嬉しく思いますし、イプセンは初めてという人にこそ、ぜひ観ていただきたいです」。現代の感性が読み解く古典がどんな舞台を展開させるのか、大いに期待が高まります。

森 新太郎

◎森 新太郎(もり・しんたろう)

演出家。1976年東京都出身。演劇集団円、会員。2006年『ロンサム・ウェスト』で本公演デビュー。08年『田中さんの青空』、『孤独から一番遠い場所』の演出で毎日芸術賞演劇部門千田是也賞受賞。09年『コネマラの骸骨』で文化庁芸術祭賞優秀賞受賞。今年2月には『汚れた手』『エドワード二世』で第21回読売演劇賞の大賞・最優秀演出家賞を受賞。テキストに真っ向から対峙し、緻密に芝居を立ち上げる手腕が高く評価されている。くちばしを使ってまで何とか生きようとする」と語っています。人間はどれだけ「真実」に耐え得るのか、暗喩に満ちた象徴的写実の技巧で描かれた傑作です。

 

安蘭けい

◎安蘭 けい(あらん・けい)

1991年宝塚歌劇団に首席で入団。同年『ベルサイユのばら』で初舞台。06年星組男役トップに就任、09年に退団。10年に第1回岩谷時子賞激励賞、13年に『サンセット大通り』、『アリス・イン・ワンダーランド』の演技により第38回菊田一夫演劇賞を受賞。今年6月にはビリー・ホリディをモデルにしたソロミュージカル『レディ・デイ』がDDD青山クロスシアターで予定されている。

今号の表紙に登場して下さったのは『幽霊』でアルヴィング夫人を演じる安蘭けいさん。元宝塚トップスターであり、多方面で活躍する安蘭さんにとって2度目のストレートプレイ(歌唱のない舞台演劇)となる本作品に期待が高まります。多くの女優が演じたがるという大役を得た安蘭さんに、本舞台への意気込みを伺いました。「アルヴィング夫人は非常に興味深い女性で、普遍的な人間である一方、ノルウェーの風土があってこそ生まれた人物。そのイメージをふくらませて演じるのは難しいのですが、やりがいも感じます。難しい古典も面白い舞台に仕立てる森さんの演出ですから、リラックスして楽しんで観てください。どんな悲劇に見舞われても人は喜劇的に見えることもあり、この舞台を観て、人間って面白い、生きるって面白い、と感じて下されば嬉しいですね」。 幽霊

 

 

シアターコクーンで上演されるイプセンの最高傑作を、お見逃しなく!

『幽霊』

作 : イプセン/出 :演 森 新太郎/出演 : 安蘭 けい、忍成 修吾、吉見 一豊、松岡 茉優、阿藤 快
上演期間 : 2014年3月20日(木)~3月30日(日)(25日は休演)
会場 : Bunkamuraシアターコクーン(東京・渋谷)
主催・企画製作 : ホリプロ/チケット料金 : 指定席 8,000円 コクーンシート 5,000円
お問い合わせ : ホリプロチケットセンター Tel.03-3490-4949

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