StyleNorwayWebMagazine 【スタイルノルウェー】

 

ダイバシティとは多様性のこと。
社会活動の場では、性別や年齢、人種や民族の違いに使われます。
中でも、いま世界中でテーマになっているのが女性の社会参画です。
その課題に先進国でも真っ先に取り組み、成果を上げている国がノルウェーです。
このコーナーでは、ノルウェーをはじめ、
さまざまなダイバシティの場で活躍するパネリストにご登場いただき、
その活動についてお伝えします。

文=山岸みすず text by Misuzu Yamagishi 写真=堀裕二 photograph by Yuji Hori

少年の頃から歌舞伎や新派、新劇の芝居を見はじめ、名優の芸に見惚れて40年。役者の人となりと舞台芸術に魂を揺さぶられ続け、演劇の仕事を経て、やがて作家に。著書では流麗な文章と濃密な内容で楽しませ、話せばその面白さと刺激で人を惹きつけてやまない岩下尚史さん。冷静で上品なたたずまい、魅力的な笑顔と舌鋒で語られる、日本のダイバシティ、多様性への道筋とは――。

 

ノルウェーといえば、近代演劇の創始者であるイプセンが生まれた国ですね。日本の新劇運動の黎明期においても、大きな影響を与えた劇作家ですが、ことに『人形の家』のノラは、明治末から昭和に至るまで、女権拡張における象徴的な主人公として親しまれました。ノルウェーは女性の社会参画に積極的な政策をとっている国と聞きますが、19世紀末以来の積み重ねが、男女平等だけではなく、ダイバシティの手本として各国に仰がれる多様性のある社会を実現させたのでしょう。
日本の文士や演劇人がイプセンの偉さを知ったのは、案外早いことだったにも拘らず、男女平等の意識ひとつ取っても、そのほんとうのところまで理解したのは一部の人であり、敗戦後に憲法で定められ、今から三十年ほど前に男女雇用機会均等法が施行されても、今なお、世間のすみずみにまでは到ってはおりません。これはやはり、私たちの民性風俗と云うものが、西欧のそれとは大きく異なることを表しているのでしょう。民俗学者の柳田國男の説によれば、近代以前の村々では、行商人から魚を買いたい時には、村中の家に声を掛け、皆が買うと言わなければ遠慮したらしいのです。つまり、所属する共同体に同一化して暮らすことが常識だったわけで、明治になって政府が進めた西欧化のなか、あれほど伝統的な信仰や生活における国風が次々と破壊されても、他人と異なることを危惧する心持ち、いわゆる多様化に消極的な国民性だけは、現在でも根強く残っていることは、ちょっと、ご自分の身の廻りのことをお考えになれば、どなたも、お心当たりがおありになると思います。
もちろん、ダイバシティなど日本人には向かない、と言うのも一つの立場であると思います。しかし、私が訝しく思うのは、社会の多様化を歓迎する立場の日本人たちのあいだに、西欧式個人主義のほんとうのところ、つまり厳しさを、身を以て理解している人がどれくらいあるのだろうかと云うことです。
たとえば、マスメディアが捏ち上げる平均年収とか平均寿命とかの統計に自分を当て嵌め、かりそめにも一喜一憂する人たちの多いところを見ても、社会の多用性を本気で実現しようとは、今のところ、どうしても思えないのです。
それでも昔よりは、さまざまな違いを受け入れて他人に理解を示す風潮が浸透しているかのように見えるのは、たとえばジェンダーの問題ひとつを取っても、上ッつらの、主に風俗上の面であることが多々あるようです。テレビや何かで見るのは面白いし、親しみを持つことも出来るけれども、実際に暮らしの中で関わることは避けたいと云うのが、今のところ、多くの日本人の本音なのではないでしょうか。
自分の価値観を通すには、他人のそれも受け入れて、時にはみずから進んで犧牲を払うことも厭わないのが、西欧式の個人主義に基づく多様化社会のすがたであると想像します。もし、極東の列島に暮らす私たちが、そうした暮らしを望むのであれば、出来もしないことを真似するよりも、少しでも近づくために和風に翻訳して稽古したほうが宜しいのではないでしょうか。そのひとつの方法として茶道や武道などの稽古は如何でしょう。それと云うのも、日本のあらゆる芸道に通じる妙諦は「間合い」を体得することにあります。価値観の異なる他人と自分との関係を尊重することこそ、西欧式の厳しい個人主義に向かぬ私たちには、社会の多用性を実現する第一歩になるような気がします。
ノラは自分を虐げて来た男の真似をしたいわけではなく、女のなかの女になることを選んだに違いないと、これでも男のなかの男を目指す私などは、斯う、思いなしているわけです。

作家。
國學院大學文学部卒業後、新橋演舞場株式会社入社。
退社後の2006年に上梓した
『芸者論―神々に扮することを忘れた日本人』(雄山閣)で、
処女作として異例の第20回和辻哲郎文化賞を受賞。
これを機に文藝家協会の会員となり、小説『見出された恋』の刊行をはじめ、
文芸誌に随筆を寄稿するなど作家としての活動を開始し現在にいたる。
文学、美術、芸能、演劇、花街、きものなど
日本文化の伝統的世界をわかりやすく解説できる稀有な存在。
温和で柔らかな語り口に織り込まれる鋭いコメントが注目を集め、
TV、ラジオにも活躍の場を拡げている。
著作に「芸者論―花柳界の記憶」、
「ヒタメン―三島由紀夫が女に逢うとき」、「名妓の夜咄」他がある。