StyleNorwayWebMagazine 【スタイルノルウェー】

 

[ダイバシティ/パブリシティ]

ダイバシティとは多様性のこと。
社会活動の場では、性別や年齢、人種や民族の違いに使われます。
中でも、いま世界中でテーマになっているのが女性の社会参画です。
その課題に先進国でも真っ先に取り組み、成果を上げている国がノルウェーです。
このコーナーでは、ノルウェーをはじめ、
さまざまなダイバシティの場で活躍するパネリストにご登場いただき、
その活動についてお伝えします。

文=山岸みすず text by Misuzu Yamagishi 写真=堀裕二 photograph by Yuji Hori

私を育てたのは日本という素晴らしい国 日本人は自国に、もっと誇りと自信を持ちましょう

明るくはつらつとして、周りに優しく細やかな気遣いをする様子からは想像もつきませんが、幼少時代は孤児院で育ち、様々な苦難を乗り越えてきたサヘル・ローズさん。舞台やテレビで活躍の幅を拡げる一方、チャリティ活動にも力をいれているサヘルさんに、第二の故郷となった日本への思いと、多様性への可能性を聞きました。

「日本に移住してすぐ普通の小学校に入りましたが、イランと日本の文化のあまりの違いに戸惑いました。言葉の壁以前に、流麗なペルシャ語に比べて日本語は険しく聞こえて怖く、人も無表情で何を考えているのかわからない。心を開かない人々だと感じ、人の思いを汲みとることに苦労しました。やがて日本語は奥が深く美しい言葉で、日本人は感情の表現には慎み深く、とても親切だと理解できました。日本語を教えてくれた校長先生や、家を失った私たち母子を助け親切に世話をしてくれた給食のおばさんのおかげで、ひとつひとつ言葉や文化の壁を越えました。外国人か日本人かより、私にとって人は、孤児か孤児でないか、その違いを大きく感じます。孤児はみな心の中に埋められない空洞を抱えていて、大人になって恵まれた環境にいる私自身もまだ感じています。それは戦災孤児としての私の原点であり、すべての孤児に家族を、という運動の動機になっています。実際、孤児となって里親のもとで暮らしている子は意外に多く、私を知って、姉のような存在として悩みを打ち明けられることもあります。彼女たちは毎日笑顔で頑張っているけれど、実の親を知りたい、でも里親に悪い、と複雑な心境で誰にも相談できない状況にいます。そんな中、私の存在が励みになると言われ、心から嬉しく思います。私はいつかイランと日本の掛け橋となり、孤児のための児童施設を作りたい。そのために女優になってオスカー像を獲得し、アンジェリーナ・ジョリーのように人間として個を確立してから影響力を存分に発揮して活動したいのです。私は人見知りだからこそ、普段出せない感情を出せ、違う人柄を演じる女優という仕事が好きで楽しんでいます。今、日本に対して思うことは、個の時代が進む中、もっと直接人と触れ合い、顔と顔を向けて目を見て語り合って欲しい。まずは家族から。どんなことでも話をすれば親は子供の異変にも気づきます。私は中学でいじめられていた時、助けもせず黙って見ていた先生がいて、私がメディアに出るようになってから成人式で会った時、君は誇りだと言われ、心底許せませんでした。これを文字通り反面教師とし、私は自分が悪いと思った時はとにかくすぐに謝ることを学びました。実際には多くの素晴らしい日本の人々に助けられ、私と母は暮らしてきました。日本に来なかったら今の私はいません。日本に深く感謝しています。この素晴らしい国に日本人はもっと誇りや自信を持って欲しい。多くの外国人が日本に暮らしに来ますが、それはお金のためでなく、真面目で責任感が強く、見返りを求めずに他国や他人を助ける日本に学び、日本の素晴らしさを吸収して自国に帰るために来るのです。こんなに平和な国はありません。公園で遊んでいる子どもは地雷を踏む危険はないでしょう? 若者はもっと日本を知るために外国に出て自分の目と五感で感じて欲しいですね。人は人からしか学べません。日本への恩返しとして、私が人に勇気を与えられる存在であればと願っています」。その大きな瞳とまっすぐなまなざしが見て学んできたものが昇華され、世界へ広く向けられ、違う国、違う個性といった多様性を包み込み、多くの人を勇気づける将来はきっと遠くありません。

1985年ペルシャ(イラン)生まれ。
8歳の時に養母とともにイランから日本に移住。
高校3年生の時、J-Wave (FMラジオ)のリポーターとしてデビュー。
TV番組「探検バクモン」(NHK総合)での進行役や報道番組に出演し、
映画、舞台で女優として活躍する。
自身の体験を子供たちに話す講演会や孤児救済の活動も積極的に行っている。
著書に、自身の半生を綴った『戦場から女優へ』(文藝春秋)がある。