StyleNorwayWebMagazine 【スタイルノルウェー】

 

※現地ガイド立ち会いのもと、撮影しております。

 

屋根に草を生やしている伝統的なフィヨルド周辺の家。緑を増やし景観に馴染むだけなく、夏は涼しく冬は暖かいというエコロジーな機能もついている。

フィヨルドを空撮した写真。鳥瞰すると、蛇のようにくねくねと細長く入り組んでいることがわかる。

フィヨルドはとてつもなく細長いので、対岸へは船で渡るしかない。ドライブすればわかるが、そこかしこにフェリーがある。地元の人にとっては、生活の一部になっている。

周辺には牛が放牧されていて牧畜も盛ん。こちらは、ノルウェーの地元品種の牛。ミルクだけでなく、美味しいバターやチーズもつくられる。

伝統的な焼きチーズ。見た目はイタリアのパルメザンのような形状だが、熱を加えるとご覧のようにトロリと溶ける。舌がとろけるほど美味しい。冬が長いノルウェー人のとっておきの愉しみだ。

 

 

フィヨルド周辺の夏の風物詩が、ストロベリーである。中身まで真っ赤な果実は、香り高く甘味も強くしかもエレガント。道路沿いには、イチゴ直売店もあり、ドライブの密かな愉しみでもある。ご覧のような地元の苺姫にも出会える。

ノルウェーの国土の西半分は、
ほとんどがフィヨルドによって形成されています。
入り組んだ地形や標高差は、
天候が不安定で決して棲みやすいとはいえません。
それでも、ノルウェー人は、
フィヨルドをこよなく愛しているようです。
その魅力の秘密とは何か。
世界遺産のガイランゲル・フィヨルドを眺める
絶景ポイントに立ってみました。

文=中村孝則 text by Takanori Nakamura
写真=堀裕二 photograph by Yuji Hori

 

船から眺めるガイランゲル・フィヨルドの景色も格別。見所のひとつはフィヨルドに落ち込む瀑布。特に有名なのは「七姉妹」と「求婚者」の滝である。このふたつの滝はフィヨルドをはさんで向かい合っている。言い伝えでは「求婚者」は対面の「七姉妹」に言い寄ろうとしているのだとか。

 

ほぼ垂直、というより抉り切立った断崖から覗くと、眼下には紺碧の水面が鏡のように静まり返っています。周囲に連なる山稜は、いずれも海抜1500m級。その山の頂きあたりは、まるで天空へと突き刺さっているように雲に覆われています。あまりのスケールに、自分の立ち位置すら混乱しそうになりますが、少なくとも僕の足元の断崖は500mはありそうです――。
その僕の立っている場所というのが、このマガジンの表紙の写真です。これは、この夏に訪れたノルウェーのガイランゲル・フィヨルドを臨む絶壁から撮影したものです。崖の上に立っているのは、僕本人で合成写真ではありません、念のため。ちょっとへっぴり腰気味なのは、やっぱりびびっているから。この場所は、一般には立ち入り禁止区域。現地のガイド立ち会いのもとにこっそり教えてもらった、秘密の撮影スポットです。びびっている理由は、写真を見ればわかりますよね。実は、もうちょっと崖のギリギリまで攻めたかったのですが、これが限界。この日は生憎の雨模様で、岩場のグリップがよくなかったのです。ギリギリなのは僕だけではありません。これを撮影している堀カメラマンも、手すりのない断崖から撮影しています。しかも、彼は高所が苦手だったはず。この写真は、被写体も撮影体も、文字通りカラダを張っているのです。
さて、今回の取材ではノルウェーのフィヨルドの魅力を皆様にお届けしようと、このガイランゲル・フィヨルドを中心に撮影していましたが、この表紙の写真が、その魅力を饒舌に語ってくれていると思います。もう少し状況を説明すると、眼下の水面は波ひとつないので湖のようですが、これは海の続きです。ガイランゲルは、海から120kmも奥まった場所に食い込む世界屈指のフィヨルドとして知られているのです。しかも、とても深い。最深部は1000m以上に及ぶといいます。ちなみに、ちょうど客船が出航するところですが、この船は10万トンクラスの客船ですから、写真全体のスケールがお分かりになると思います。フィヨルドは、“氷河時代に数万年をかけて氷河が削りとった後の大自然の造形”だと、辞書では簡単に説明しますが、僕の足もとの絶壁も、氷河の削り跡だと簡単にかたずけてしまっていいのだろうか? と思ってしまいます。山稜の標高と海の深さをプラスすると2000m以上の落差がありますが、それを氷だけで削ることなんて、できるのでしょうかね。しかも、これほどまでに美しい造形で。
かつてノーベル文学賞を受賞したノルウェーの国民的文豪、ビョルンスティエルネ・ビョルンソンは、「ガイランゲルに牧師は要らない、フィヨルドが神の言葉を語るから」という言葉を残したそうですが、この断崖に立つと、あながち誇張ではない気もしてくるから不思議です。多くの観光客が何度も訪れるのも、厳しい自然や不便さをもろともせずに代々棲み続けるのも、おそらく風景が語る神の言葉を聞きたいためなのでしょうね。さて、あなたなら、どんな神の言葉を期待されるでしょうか?