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ノルウェーの西岸にオーレスンという街がある。ガイランゲル・フィヨルドなど、代表的なフィヨルドの入口だから、観光客もよく訪れる。僕がはじめて訪れたノルウェーの街もオーレスンだった。街の中心部は、まるで軍艦島みたいに島一杯に建物が密集していた。そして、どの建物も、申し合わせたように色鮮やかなアールヌーボー調で統一されていた。予備知識なしで船でこの街に寄港したら、何かのテーマパークだと勘違いするのではないだろうか。街並が不自然と思うほど美しく揃っているからである。もちろん、美しく統一された街並は世界中に沢山ある。イタリアのシエナ、ギリシャのサントリーニ島、ベトナムのホイアン……。そういった街の美しさは、年月を積み重ねて造られ年季をかけて醸し出される。しかし、オーレスンの街には、そういった特有の重厚な匂いがないのだ。それが、この街の独特の魅力になっているのだが、その不自然な美しさの理由は、街の博物館に立寄ってようやくわかった。
1904年1月23日。街を大火が襲い、強風に煽られて16時間燃え続け、街の大半の860軒の家を全焼させてしまったのだ。博物館の資料によると、この大火で死亡した人はゼロだったというから驚きだ。実際には老婆が一人と猫が一匹死亡したそうだが、老婆は火事が原因ではなく、心臓発作だったという。 |
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ちなみに、これも博物館の資料に残った話である。さて、驚きといえば復興の物語である。焼け野原になったこの街を、時のドイツ皇帝ヴィルヘルムⅡ世が、復興を呼びかけて資金だけでなく、若い建築家や職人、建築資材などを送り込んだ。そしてわずか3年の歳月で、今の街並に復興させてしまうのである。街がドイツ版アールヌーボーともいえる、ユーゲントシュティールで統一されているのは、当時のドイツの最先端の流行だったから、なのである。この美しい町並みは、災害の復興の産物でもあるのだ。
それにしても、ヴィルヘルムⅡ世である。第一次世界大戦の元凶だの、名宰相ビスマルクを失脚させた無能のレッテルを張られがちなドイツ皇帝。特に日本においては、ビスマルク人気が高かっただけに(伊藤博文や山県有朋は自称「日本のビスマルク」である)、ヴィルヘルムⅡ世は不当に評価が低いように思える。少なくとも、災害から100年後に世界的な観光資源に耐え得る町づくりを、3年で成し遂げた美的センスと行動力は再評価に値するのではないだろうか。大震災から2年半を過ぎても、100年後の美的観点すら論じられない日本の現状を思うと、この街を見下ろすアクスラ山からの景色も、また違う彩りに映るのである。 |
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